江戸の時代より続く釧路の守り神

釧路國一之宮 厳島神社

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釧路國一之宮 厳島神社

神社について

神社について

厳島神社は、古くより「クスリ」と呼ばれ漁業・交易・交通の要衝であった港町釧路を守護する神社であり、地域の安寧を祈る市民の守り神として仰がれてきました。社格は旧縣社・旧釧路國くしろのくに一之宮。相殿と合わせ七柱の御祭神が祀られております。

厳島神社はの社殿境内釧路市米町一丁目知人岬しれとみさき台地に位置しております。この附近一帯は江戸時代にクスリ会所・クスリ泊といわれた釧路市発祥の地でありました。

境内に接する米町公園は太平洋を見下ろす高台にあり、眼下には釧路港があり漁船の出入りも盛んです。又、公園内には石川啄木歌碑などもあり、遠景には雄阿寒岳・雌阿寒岳が眺まれ、厳島神社と共に歴史を刻んでおります。


御由緒

当神社は釧路が来開草業らいかいそうぎょうの頃、漁場請負人ぎょばうけおいにん佐野孫右衛門が漁場の安全と大漁祈願の為、安芸の厳島神社の御分霊を勧請奉祀かんじょうほうししたのが起源と伝えられています。

文化二(一八〇五)年には、二代目佐野孫右衛門が旧真砂町高台のアイヌ民族たちがカムイシュマ(アイヌ語・神岩の意)と呼び木幣いなうを立てて祀っていた約四百坪の土地に神殿を造営しました。以来累年豊漁が続き、住民も年を追って増加し、遂に神社を中心として一部落を形成するに至り、住民自ら産土神うぶすながみと崇仰するようになりました。これは安政四(一八五七)年に函館奉行の命により全道踏破した松浦武四郎の「久摺日誌くすりにっし」に明記されるところです。

明治二十四(一八九一)年二月十日、現在地に本殿拝殿を造営し御遷座ごせんざ、同年五月には社格が郷社に、大正二(一九一三)年五月には縣社に昇格いたしました。

昭和天皇は大正十一(一九二二)年七月十七日に大正天皇の摂政として、また昭和十一(一九三六)年九月二十八日の釧路市行幸の際も釧路國社である当社を御親拝されました。釧路住民全てが氏子とされる格式あるお宮です。


御祭神

主祭神

市杵島姫命いちきしまひめのみこと 安芸の宮島で有名な厳島神社の御分霊。「弁天さま」と呼ばれ親しまれています。古くより海の幸を恵み、交易を守り、海上の要衡の災厄を防ぐ国家鎮護の神さまとして信仰され、大漁満足・商売繁昌・海上安全・交通安全・地域安寧の御神徳があります。また歴史的に平家をはじめ勝負の神として開運・必勝祈願の信仰を集め、更には弁財天(弁才天)と習合して学業成就・芸能上達・招福蓄財、美の女神として家内安全・安産など様々な御利益があります。

相殿神

阿寒大神あかんのおおかみ 雄阿寒岳・雌阿寒岳を霊峰とする山神さまでアイヌの神ともされています。
稲荷大神いなりのおおかみ 五穀豊穣・家運隆昌・五穀豊穣の神さまです。
金比羅大神こんぴらだいじん 金刀比羅宮の御分霊で海上安全、大漁満足の御利益があります。
秋葉大神あきはのおおかみ 静岡県秋葉山本宮秋葉神社の御分霊で、別名「火之迦具土大神ひのかぐつちのおおかみ」。諸厄諸病を祓い、火災を防ぎ、工業を発展させる神さまで、厄除開運・家内安全・商売繁昌の御利益があります。
海津見大神わたつみのおおかみ 海上安全・大漁満足の神さまです。
猿田彦大神さるたひのおおかみ 古事記の「国つ神」であり道祖神。「みちひらき」導きの神さまとして、方位除・交通安全・旅行安全の御利益があり、また、俳優わざおきの神さまでもあります。

いずれもクスリ場所時代から明治初期に釧路に移住し街づくりに励んだ先人たちが国元や職業の関わりからお祀りし、今日に至ったものです。

摂社・末社

釧路護国神社

明治四十四(一九一一)年七月、日露戦争戦没者(当時十二名)の霊を祀るため、米町定光寺に忠魂碑を建立しました。昭和七(一九三二)年九月、鶴ヶ岱公園に移転・建立されましたが、昭和四十(一九六五)年に社殿を厳島神社境内に創建。平成二十九年現在、合祀者約三千柱余りの御英霊が祀られております。毎月十五日には月例慰霊祭が、また八月十五日には戦没者慰霊大祭が厳島神社神職により厳粛に斎行されています。


御得稲荷神社おんとくいなりじんじゃ

明治十二(一八七九)年十月、新潟県出身の須貝利吉氏の鮭漁場私祭神祠として頓化とんけし(現在の南浜町・浜町・浪花町・寿町一帯)の地に奉祀され、明治十八(一八八一)年頓化部落守護神として「御得稲荷神祠」と呼ばれるようになりました。平成二十六(二〇一四)年厳島神社境内に合祀され現在に至ります。
御祭神 稲荷大神(主祭神)・金刀比羅大神・水天宮
御神徳 商売繁昌・大漁満足・家内安全・子宝・安産


稲荷社(稲荷祠)

当神社に古くから御鎮座されている稲荷祠。商売繁昌・家内安全ほか縁結びの御神徳もいただけるといわれています。


龍神社(龍神祠)

運気隆昌、人と人の縁を結ぶ御神徳をいただけるといわれています。お社には財運向上の白蛇の石が置かれています。


兼務社

厳島神社が社務を兼務している神社です

釧路神社

釧路町遠矢御遷座。大正六(一九一七)年七月十一日創建。達古武紅葉丘に奉斎されておりましたが、昭和四(一九二九)年六月二十七日に遠矢鶴聲山に遷座され、昭和十(一九三五)年十一月二十八日村社となりました。
御祭神 天之御中主大神
御神徳 国土安泰・開運・勝運・福徳
所在地:釧路郡釧路町字遠野52番地


別保神社べっぽじんじゃ

釧路町別保御鎮座。大正七(一九一八)年、当時別保市街に鎮守社なきを憂い市街有志にて、別保市街の諸座業発展を祈るため、京都・賀茂別雷神社より御分霊を勧請奉祀いたしました。
御祭神 賀茂別雷大神・大山祇大神
御神徳 厄除・落雷除・災難除・農業/山林/鉱山業守護・電気工事安全・商売繁昌
所在地:釧路郡釧路町別保3丁目30番



用語解説

神社や神道の知識のない方にもわかりやすいように用語の読みや解説をいたしております。当神社、また釧路の開拓史の理解を深める為にご利用ください。

釧路國くしろのくに 大宝律令の国郡里制を踏襲し戊辰戦争終結直後に制定された日本の地方区分の「国」で、道内11国のうちのひとつ。現在の釧路総合振興局管内すべて(釧路市(阿寒町・音別町含む)・釧路町・白糠町・鶴居村・厚岸町・浜中町・標茶町・弟子屈町)と十勝総合振興局管内の足寄郡の大半(旧足寄村にあたる利別川以東及び陸別町)にあたる。
また社格は「旧縣社」、道内七社の一之宮のうちの一社である。
知人岬しれとみさき 開拓期には知人岬周辺は漁業などの要所であった。
クスリ会所・クスリ泊 クスリとは釧路の語源。原名はクシル。クシ「越える」ル「路」からなり“ここより各地へ道が通じている”…の意味とされる。会所とは幕府東蝦夷地直轄とともに、旧来の運上屋を改め会所と唱えた。因みに運上屋とは場所請負人の交易所のことである。役人などが詰め合い、通行人の宿泊所も設けられていた。またアイヌ介抱(交易)の拠点でもあった。泊とは船が停泊するところで、船着き場のことをいう。
漁場請負人 佐野孫右衛門 敬神の念があつく、漁業安全と豊漁祈願のために芸州宮島から厳島神社の分霊を勧請し、釧路厳島神社を創立したと伝えられる。因みに漁場請負人とは明治二年より『漁場持(ぎょばもち)』と呼ばれ、地域の漁業のまとめ役のような役割だったようです。政府は明治維新以降の北海道開拓、移民促進のために旧来の制度を改め、暫定的な御用達および村役人のような事務処理を漁場持に行わせました。
安芸の厳島神社 広島県にある厳島神社総本社。
勧請奉祀かんじょうほうし 勧請とは、神仏の来臨や神託を祈り願うこと。また、高僧などを懇請して迎えること。奉祀とは、神仏・祖霊などをまつること。ここではある御社から御分霊をお招きし、別の御社でお祀りすることを指す。
木幣いなう またはイナオと読む。アイヌ語より。エナオと読むこともある。柳やミズキの木の棒の先を削りかけしたもので、祓い串のルーツと言われています。
産土神うぶすなかみ 現在では氏神や鎮守とほぼ同じ意味でもちいられる。氏神とは同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神さまのことで、同じ氏神の周辺に住みその神を信仰する者同士のことを氏子(うじこ)という。
鎮守とはその土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神のことである。
産土神とは産まれた土地の神さまの事で、その者を一生守護すると考えられた。昔は生まれてから死ぬまで一定の土地に住むことが多く、そのためほとんどの人にとって産土神と鎮守は同じ神であった。そのようなことから氏神と鎮守は同一視されるようになりました。
松浦武四郎 北海道の名付け親。蝦夷地の探検や地理調査を始めとした様々な業績を残した。因みに釧路市内の松浦町は、「釧路が東蝦夷地第一の都会になる」という、武四郎の達見に敬意を表すため昭和七(一九三二)年に町名を改名した。昭和三十三(一九五八)年頃、松浦武四郎蝦夷地探検像が建てられた御縁により松浦武四郎直筆の掛け軸が当神社に奉納された。
御遷座ごせんざ 神仏の座を他の場所に移すこと。
郷社・縣社 平安時代より用いられていた神社の社格のひとつ。明治時代に復興され、昭和20年に廃止された。